漢の時代に「相印相笏径」という印を相する書があり、また劉後村という人は押字を占う事で有名になり、郭若虚の画論や「南郭遺契」にも相印の事が書かれているそうです。 わが国では後醍醐天皇の時、天文博士の「安部有宗入道」が人の判の形を見て、その人の吉凶を占っていたという事が「雑々拾遺」という本に見えているそうです。
徳川の時代に入り、享保17年、野州佐野の大聖密院盛典が「印判秘訣集」という書を著わし、その中で判の吉凶を詳細に述べているそうです。 これが「相印法」の原点となり、現在の「印相」につながっているのです。
相印の文献としては、この他に「名判集成」や「名判精正録」等数種ありますが、いずれも「印判秘訣集」が原点となっているのだそうです。
難しいお話で申し訳ございません・・・ただ、大昔から代々受け継がれてきた印の相のルーツについてご説明させていただきました。
もちろん、開運印鑑と言いましても、必ずしも“幸せ”になるとか絶対に“金運”が良くなる等という事ではないという事は私も承知しております。ただ、印鑑屋としての商売のみを考えるのではなく、この代々伝わる印相を正等に受け継ぎ、皆様の開運への自信につながるお手伝いが出来ればと考えております。
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